記
(66) 信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし
(正像末和讃·誡疑讃)
信心の人(真実信心の人)と疑心自力を対比して信心の人に劣らないように疑心自力の人も如来大悲の恩、阿弥陀仏の大慈悲の御恩を知り、称名念仏を一層称えなさいという和讃です。この和讃は二通りの読み方ができると思います。①疑心自力の人に疑ったままでもよいから念仏を称えなさい②疑心自力の行者も如来大悲の恩を知って一層称えなさい、の二通りがあります。
真実信心の人は如来大悲の恩を知っているので、同じようにその如来大悲の恩を知り真実信心の人となって称えなさいと言われるのです。それは真実信心の人は、阿弥陀仏の本願を聞いて疑いがないからです。『大無量寿経』には法蔵菩薩がすべての人の姿をご覧になられて、かわいそうに思われて慈悲の心を起こされ、生死から離れられない私達を何とか助けたいと本願を建てて下さいました、とあります。
その中心は十八願です。本願を信じて念仏申す人を必ず浄土往生させて、仏にしてみせるという誓いです。五劫という期間考えられて、兆載永劫という長い期間ご修行されて本願を完成され、この願と行の完成によって南無阿弥陀仏となって下さったのです。念仏するものを助ける本願なので念仏往生の願と言われます。至心信楽の願とも言われます。疑心自力の行者も念仏は称えていますが信心はよくわからないので二十願に目をつけるのです。二十願は植諸徳本の願と言われ、至心回向の願とも言われます。南無阿弥陀仏を称える功徳を阿弥陀仏に差し向けて浄土に往生しようとするのです。親鸞聖人はその二十願を方便であるとおっしゃいます。一生懸命に念仏を称えたら今生では無理でも、次の生で仏にしてみせる、必ず果たし遂げると思うのです。そして往生できると思っていて念仏を称えて行ってみたら化土だとわかるのが二十願だと親鸞聖人は教えられました。
化土でもよいからと思う人は実際は二十願の人ではありません。二十願には化土のことは書かれていないからです。親鸞聖人も比叡の山で二十九才までご修行されて、山を下りて法然聖人のもとに百ケ日通われました。念仏で往生できると思い、これだけ称えたのだから阿弥陀仏に助けてもらえると一生懸命に称えられたのだと思います。称えた功徳を差し向けるのは阿弥陀仏の大悲の恩を知っているということではありません。そもそも阿弥陀仏の本願は自力では生死から離れられない人を救うために建てられたのです。戒律を守る、人にやさしくする、親孝行をするなどの条件があればそれができない人は助かりません。どんな人でも等しく救われる本願にしてみせる。本願を信じて南無阿弥陀仏を称える人を、その南無阿弥陀仏のはたらきによって浄土に往生させて、仏にして見せるという本願を建てて下さったのです。
真実信心の人、疑心自力の人が南無阿弥陀仏を称えている姿を見ても同じではないかと思います。しかし信心の有る無しが違いであると『化身土巻』に書かれています。疑心自力の人は報土往生はできない。化土往生であると書かれています。化土とは七宝の獄であり、まわりにあらゆるものはあるが金の鎖でつながれる牢屋のようなところだと言われるのです。昔は、イネとヒエの関係で話されていました。植えたときこの二つは似ているが、取れるときは米とヒエと全然違うものになっているのです。念仏を称えている姿は同じに見えても、報土往生と化土往生の差があるのです。
親鸞聖人は三願転入の文で二十願の往生を離れて十八願の報土往生をさせて頂きたいと思いますと書かれています。
「建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」とも言われています。元々十八願の救いが二十願の形となって、果たし遂げると誓われ、四十八願のはたらきとしての本願のはたらき、他力のおかげで十八願の世界に転入したのだと言われるのです。
選択の願海に転入したと言っても、それは自力ではなく、どんな人でも必ず救うと誓われた十八願のはたらきに救いによります。しかし二十願のお育ては大変有り難いのです。親鸞聖人が念仏をしなさいと教えられた念仏は、十八願の念仏のことです。今念仏を称えている人も、その功徳を阿弥陀仏に差し向けるのが本当の念仏ではありません。南無阿弥陀仏自体が私を救って下さることをその通りに疑いなく聞いて如来大悲の恩を知り真実信心の人となって念仏を称えて下さい、という和讃です。
以上 文責 好浦和彦