11月「にしのみや聞法会」のご案内

11月「にしのみや聞法会」のご案内

響流会主催「にしのみや聞法会」を毎月1度開催しております。

つきましては下記の開催となっております。お忙しい中だとは思いますが、どうぞご聴聞してください。

日時:11月 23日(土)

時間:午後 15時~午後 16時半 (途中休憩)

場所:西宮市立勤労青少年ホーム 3階 会議室A(会場前に案内を出しております)

講師:宮田秀成 先生

持ち物:筆記用具 など

テキストがある場合は会場に用意しておりますので、どうぞお気軽におこしください。

お問合せは「お問合せ」フォームからお問合せいただくか、メールにてお問い合わせください。

1月と8月 休会とさせていただきます。変更がある時はお伝えいたします。

よろしくお願い申し上げます。

お問い合わせは、響流会HP (http://kourukai.org/) のお問い合わせ欄までお願い致します。

響流会

今回(9月28日)は前回に続き親鸞聖人の正像末和讃のお話がありました。

今回(9月28日)は前回に続き親鸞聖人の正像末和讃のお話がありました。

像法のときの智人も
自力の諸教をさしおきて
時機相応の法なれば
念仏門にぞいりたまふ(29)

弥陀の尊号となへつつ
信楽まことにうるひとは
憶念の心つねにして
仏恩報ずるおもひあり(30)

龍樹菩薩、天親菩薩のように自力の修行で高い悟りを開いた方々も自力の教えをさしおいて念仏の教え、他力の教えに入られたと言われています。末法の時代には自力の教えではなく念仏の教えが時機相応である。仏教とは仏の教え、仏になる教えと言われるがいろいろな道がある。自力の教えは陸路を進むようなもので、念仏の教えは水路を進むようなものであり、苦労が違う。末法には水路でなければ行けないと勧められました。

では具体的にどうすれば仏になれるのかを教えられたのが二つ目の御和讃です。仏の眼から観られた人間の姿は、「人生は苦なり」と満足することなく生まれ変わり、死に変わりを際限なく繰り返している。そのような生死から離れさせて浄土に往生させて救いたいというのが阿弥陀仏の本願。阿弥陀仏は浄土で待っているのではなく南無阿弥陀仏となられて私達に届き、称えさせて下さる。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏が「浄土に来なさい」と私を招き、喚び続けて下さる本願召喚の勅命と親鸞聖人は教えておられます。

念仏を称えたら救われるのではなく、真宗では南無阿弥陀仏を称えて南無阿弥陀仏を本願召喚の勅命とそのまま聞き入れることを信心、信楽と言います。「聞いて疑ふ心のなきなり。」と特別に強い心で信じるのではありません。いくら称えても信心がなければ浄土に往生はできない。疑いなくそのまま聞いているのを信心、聞信一如、聞即信と言います。私からあれこれ何も付け加える必要はありません。
憶念の心つねにして、とは信心は途切れることがないという意味です。南無阿弥陀仏は常に働いて下さっているので阿弥陀仏の御恩に報いようとする思いも出てくるということです。

その後質疑応答がありました。

以上

10月「にしのみや聞法会」のご案内

10月「にしのみや聞法会」のご案内

響流会主催「にしのみや聞法会」を毎月1度開催しております。

つきましては下記の開催となっております。お忙しい中だとは思いますが、どうぞご聴聞してください。

日時:10月 11日(金)

時間:午後 14時~午後 15時半 (途中休憩)

場所:西宮市勤労会館 3階 第6会議室 (会場前に案内を出しております)

講師:土井尚存 先生

持ち物:筆記用具 など

テキストがある場合は会場に用意しておりますので、どうぞお気軽におこしください。

お問合せは「お問合せ」フォームからお問合せいただくか、メールにてお問い合わせください。

1月と8月 休会とさせていただきます。変更がある時はお伝えいたします。

よろしくお願い申し上げます。

お問い合わせは、響流会HP (http://kourukai.org/) のお問い合わせ欄までお願い致します。

9月「にしのみや聞法会」のご案内と変更のお知らせ

先月、一部の方や「法話検索」のサイトでは、9月のご案内を「9月6日」とさせていただいておりましたが、諸般の事情により9月6日から9月28日(土)とさせていただくことになりました。急な変更となりますが、どうぞご聴聞くださいますようよろしくお願い申し上げます。

 

9月「にしのみや聞法会」のご案内

日時:9月 28日(土)

時間:午後 15時~午後 16時半 (途中休憩)

場所:西宮市勤労会館 3階 第 2会議室 (会場前に案内を出しております)

講師:宮田秀成 先生

持ち物:筆記用具 など

テキストがある場合は会場に用意しておりますので、どうぞお気軽におこしください。

お問合せは「お問合せ」フォームからお問合せいただくか、メールにてお問い合わせください。

1月と8月 休会とさせていただきます。変更がある時はお伝えいたします。

よろしくお願い申し上げます。

お問い合わせは、響流会HP (http://kourukai.org/) のお問い合わせ欄までお願い致します。

響流会

今回(7月27日)は前回に続き親鸞聖人の正像末和讃のお話がありました。

今回(7月27日)は前回に続き親鸞聖人の正像末和讃のお話がありました。

五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし(26)

念仏往生の願により
等正覚にいたるひと
すなはち弥勒におなじくて
大般涅槃をさとるべし(27)

親鸞聖人の晩年の和讃です。大乗の菩薩とはすべての人を救おうと仏になろうとしている人のことで、弥勒菩薩は長い間修行をして五十二段ある仏の覚りの五十一段である等正覚まで来ている人です。その弥勒菩薩はあと一段昇って釈尊と同じ仏になるには五十六億七千万年という長い時間がかかります。それに対してまことの信心をうる人はこの命が終わると速やかに仏の覚りを開くのだと教えられています。

まことの信心とは真実信心、他力の信心のことで念仏往生の願、阿弥陀仏の本願(第十八願)を信じることであり、その内容は、本願を信じ念仏するものは必ず浄土に往生させるというものです。阿弥陀仏とは、もとは法蔵菩薩であり、私を仏にするために仏になられた仏様のことです。

最近は自己責任ということがよく言われます。弥勒のような人は自分で覚りを開けるのでよいかもしれませんが、私たちのような凡夫といわれる人間は、そのまま死んでいくしかなく、覚りとは縁がありません。その姿を見て、法蔵菩薩は何とか生死から離れさせてやりたいと作られたのが私たちが往かせて頂く浄土です。そして何か条件をつけると往ける人と往けない人が出るので、性格、能力、年齢、性別は関係なく南無阿弥陀仏と称名念仏するものを生きている間に弥勒と同じ等正覚、必ず仏になれる身にして、命終わると速やかに浄土往生させ、仏の覚りを開かせると誓われたのが念仏往生の願です。

南無阿弥陀仏が私を浄土に往生させるのだと聞いて疑いのないのが信心です。ひとたびそのように聞くと、まことの信心は死ぬまで崩れることがありません。ただそのように聞いてもなかなかわかる私たちではありません。私の称える南無阿弥陀仏は「気持ちがこもっていない」とか「真剣さが足りない」などと考えてしまうのですが阿弥陀仏が浄土を作って、よびかけて下さっているその本願のはたらきが私に届いて、当たって、私の口から出て下さっているのが称名念仏、南無阿弥陀仏です。自分の力で称えているのではなく、既にずっと私にはたらいて下さっていたのだと気づくことが信心です。
そのように気づいた人、聞こえてきた人は命終わるとき速やかに弥勒よりも先に仏の覚りを開くことになります。

以上

8月「にしのみや聞法会」のご案内

8月「にしのみや聞法会」のご案内

8月は休会となっております。

お間違えのないようよろしくお願いいたします。

尚、9月の予定はまた改めてご連絡させていただきます。

お問い合わせは、響流会HP (http://kourukai.org/) のお問い合わせ欄までお願い致します。

響流会

7月「にしのみや聞法会」のご案内

7月「にしのみや聞法会」のご案内

響流会主催「にしのみや聞法会」を毎月1度開催しております。

つきましては下記の開催となっております。お忙しい中だとは思いますが、どうぞご聴聞してください。

日時:7月 27日(土)

時間:午後 15時~午後 16時半 (途中休憩)

場所:西宮市勤労会館 2階 和室 (会場前に案内を出しております)

講師:宮田秀成 先生

持ち物:筆記用具 など

テキストがある場合は会場に用意しておりますので、どうぞお気軽におこしください。

お問合せは「お問合せ」フォームからお問合せいただくか、メールにてお問い合わせください。

1月と8月 休会とさせていただきます。変更がある時はお伝えいたします。

よろしくお願い申し上げます。

お問い合わせは、響流会HP (http://kourukai.org/) のお問い合わせ欄までお願い致します。

響流会

5月25日「にしのみや聞法会」を終えて

今回(5月25日)も前回に続き親鸞聖人の正像末和讃のお話がありました。

正法の時機とおもへども
底下の凡愚となれる身は
清浄真実のこころなし
発菩提心いかがせん
(『正像末和讃』の15)

前回は、時機が悪ければ悟ることはできないとお話しましたが、たとえ正法の時代に生まれたとしても煩悩にまみれた愚かな凡夫は仏様のような心はなく菩提心は起こせないのでどうすればよいのだろうか、というのがこの和讃の意味です。

お釈迦様は四門出遊という出来事を通して菩提心を起こして出家、修行されたと言われています。老人、病人、死人を見て、自分が避けることのできないこれらの苦しみから離れたいという強い気持ち、菩提心を持って王子という立場を棄てて出家、修行され、成仏されたのです。

親鸞聖人も両親の死を縁として出家されたと言われています。当時は仏教=出家という考え方が当たり前でしたが法然聖人は、念仏申すことが大切であり、菩提心は必要ないと教えられたので出家していた人々から大変非難されました。菩提心がなければ仏教は始まらないという考え方からすれば当然の批判でした。

真宗では生死の苦しみから離れるために聞法すると言われますが何を聞くのかと言えば、阿弥陀仏の本願、南無阿弥陀仏を聞くことと言われます。阿弥陀仏の本願とは、たとえ菩提心を起こせない底下の凡愚でも、浄土に生まれさせて、仏の悟りを開かせてみせるという願です。阿弥陀仏という仏様は、菩提心を起こせない者でなければ浄土に往生できないとは言われていません。法然聖人は、ただ南無阿弥陀仏を称えなさい、南無阿弥陀仏一つで往生できると教えられました。親鸞聖人は南無阿弥陀仏をただ耳で聴くのではなく阿弥陀仏の本願の通りになる働きが成就(完成)していることをそのままに疑いなく聞くことで救われるのだと教えられました。
だから菩提心は私たち人間が起こすのではなく阿弥陀仏から南無阿弥陀仏として差し向けて下さるのだと。だから菩提心の起こせない凡愚でも救われるのだと教えられました。以上

 

 

6月「にしのみや聞法会」のご案内

6月「にしのみや聞法会」のご案内

響流会主催「にしのみや聞法会」を毎月1度開催しております。

つきましては下記の開催となっております。お忙しい中だとは思いますが、どうぞご聴聞してください。

日時:6月 7日(金)

時間:午後 14時~午後 15時半 (途中休憩)

場所:西宮市勤労会館 3階 第 6会議室 (会場前に案内を出しております)

講師:土井尚存 先生

持ち物:筆記用具 など

テキストがある場合は会場に用意しておりますので、どうぞお気軽におこしください。

お問合せは「お問合せ」フォームからお問合せいただくか、メールにてお問い合わせください。

1月と8月 休会とさせていただきます。変更がある時はお伝えいたします。

よろしくお願い申し上げます。

お問い合わせは、響流会HP (http://kourukai.org/) のお問い合わせ欄までお願い致します。

響流会

4月『にしのみや聞法会』が開催されました

今回(4月27日)は親鸞聖人の正像末和讃より二首のお話がありました。

釈迦如来かくれましまして
二千余年になりたまふわ
正像の二時はをはりにき
如来の遺弟悲泣せよ

末法第五の五百年
この世の一切有情の
如来の悲願を信ぜずは
出離その期はなかるべし

仏教を聞くのは、生死から出離するためです。正法の時代は、『教』(教え)『行』(修行)『証』(さとり)はすべて揃っていますが像法の時代は、『教』『行』はあっても『証』がありません。正法、像法が既に終わり、現在、末法の時代は、『教』はあっても『行』『証』はありません。

「修行ができなくなる時代になれば阿弥陀如来の本願でなければ我々は救われない=唯説弥陀本願海」と親鸞聖人は教えられました。
阿弥陀如来は「私はすべての人を救って生死から離れさせ浄土に往生させて仏にしてみせる」という本願を建てられ、成就されました。そして南無阿弥陀仏の声となりすべての人に呼び掛けておられます。
「本願を信じ念仏申さば仏になる。」の言葉通りに私を助けるはたらき、そのものである阿弥陀如来の本願を信じなければ、生死から出離することはできません。阿弥陀仏の本願を信じれば生死から離れることができます。「信じる」とは「聞く」ということであり、「信じる」ということは如来の本願を「聞いた」ことであると親鸞聖人は教えられました。「信じる」といっても、「聞いて」疑わない(不疑)ということではなく、(本願をその通りと)聞いて疑いがない(無疑)ということです。聞き受けたその人は肉体の命が終われば生死から出離することができます。以上