11月「にしのみや聞法会」のお話

〔56〕三朝浄土の大師等

哀愍摂受したまいて

真実信心すすめしめ

定聚のくらいにいれしめよ

『正像末和讃』

 

インド、中国、日本にあわられて、浄土の教えを伝えていかれた高僧、また聖徳太子などの仏教を弘めて下さった方々が哀れみ、かなしみ、摂めとって下さっています。そして真実信心を獲て、仏になるに正しく定まった位に入るようにお勧め下さっています。皆さんもどうかこうなって下さい、という意味です。親鸞聖人の仰る浄土真宗とは、阿弥陀仏の本願、選択本願のことです。日本に伝わった仏教は様々な教えがありますが、聖人はお釈迦様の教えの中で一番伝えたかったことは、阿弥陀仏の本願であると見られました。末法の時代にいろいろな教えはあっても出家して、修行しても誰ひとりとして、悟りは獲られないとお釈迦様が教えておられます。

 

聖人は9歳のとき、山に入られて大変な修行を20年されましたが迷いから離れられなかったと仰っておられます。聖人も生死出づべき道を求められたのです。私たちは死んだら終わりではなく、別のものに生まれ変わり、そのことを繰り返しています。これを生死といいます。仏教はその生死から離れることを教えています。聖人は迷いから離れられないことに気づかれて、阿弥陀仏の本願、選択本願を教えられる法然聖人に遇われるのです。

 

法然聖人から本願を信じて念仏申すものは仏になるといわれる阿弥陀仏の本願、選択本願を聞き、生死から出られる身になられたのです。親鸞聖人は七高僧を挙げられましたが。皆さん共通しているのは、阿弥陀仏の本願による救いを弘められたことです。阿弥陀様が私たちを憐れに思われたように、七高僧方に憐れんで下さい、と仰るのです。聖人のような偉い方は違うと思われるのかもしれませんが、聖人も私たちと同じ悩みを持っておられたのです。その上で阿弥陀仏の本願を伝えて下さるのです。そして七高僧が勧めていかれたのが真実信心です。

 

真実信心とは、信じなさいといわれているのではありません。「信心は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」『一念多念証文』とあります。「ちかひ」とは阿弥陀仏の本願のことです。阿弥陀仏が法蔵菩薩であられた時にこの誓いを建てられました。どのような方法で救えるのか、を五劫という長い間私たちの代わりに考えて下さったのです。修行の仏教では、修行の出来ない人は漏れていきます。だからすべての人が救われる方法を選んで下さったのです。それは、私が南無阿弥陀仏になって呼びかけるので、それを聞いた人は、信じて称えて下さい。本願を聞いて念仏するものは、必ず浄土に生まれさせると聞いて、疑いのないのが信心ということです。この信心が定まるとき、必ず仏になるということが定まります。これを正定聚といいます。生死から離れられない人が仏になることが定まるのです。念仏は阿弥陀仏の呼び声だったと本願を聞き、疑いの心のないのが信心です。その真実信心を七高僧が勧められたので、「唯可信斯高僧説」『正信偈』と教えて下さったのです。